5年ぶりのインド。
ひとり旅となると実に24年振り。
18日間の旅の記録を、インド旅雑感ということで何回かに分けて綴ります。
今回は、チェンナイin、ムンバイoutでチケットをとりました。
前半は、チェンナイの空港で友人と合流し、聖地ティルバンナーマライにある、ラマナアシュラムに行くのが大きな目的でした。
その後、プネーに移動し、知人のインド人女性声楽家の方の元を訪ね、最後はムンバイでサーランギーの先生に会うという大まかな予定だけ決めてました。
地名だけ書いてもわからないだろうから、地図で一緒に見てみましょう!
今回、シンガポール経由でインドの東にあるチェンナイから入りました。
帰りは、ムンバイoutです。
チェンナイに2日ほど滞在してから向かったのは、聖地ティルバンナーマライにある、シュリー・ラマナ・ハマルシのアシュラム。
こちらがラマナアシュラムのサイトです↓
ラマナアシュラムの入り口
シュリー・ラマナ・ハマルシ
アシュラムには、事前に連絡をして予約しておけば、数日間滞在させていただくことができますが、タイミング次第で泊まれないこともあれば私たちのように7日間滞在させていただくこともできます。
アシュラムでの滞在はすべてドネーション制で、3食と午後のチャイをいただくことができます。
参拝は一般の方も自由にできるので、外のゲストハウスなどに宿泊して通っている方や、通年で現地に住んでいる日本人の方も数人いらっしゃいました。
今回泊めていただいたのは敷地内の棟ではなく少し歩いたところにある新しい建物。
部屋は真新しくて清潔。
アシュラムに向かう道から聖なるアルナーチャラが見える。
アルナーチャラにも上りました。
アルナーチャラの周りを歩いて巡礼することを、ギリプラダクシナと言います。
今回私たちも、(最後の方はオートリクシャーに乗りましたが...)ギリプラダクシナしてきました。
朝5時にアシュラムでお参りしてから出発。
まだ日が昇る前暑くないうちになるべく沢山歩く。
私たち日本人にはどの景色も新鮮で飽きない道のり。
メインのテンプルは10箇所。八方位の守護神と、スーリヤ・チャンドラのテンプルにお参りしてきました。それぞれのテンプルに個性があって面白かったです。
八方位の守護神については、伊藤武先生から結界マントラを教わった時に知りましたが、実際にこうして祀られているのを見るという体験ができて感動でした。
知識と体験がつながった喜びがありました。
アルナーチャラの裏側から。
それでは、ここからは "巡礼" というキーワードが出たのをきっかけに、インド旅からちょっと脱線して、タイトルにもある "人生は巡礼の旅-Life is a Pilgrimage" について書いていきます。
今年に入ってから、友人にお願いして、オリジナルのスタイルで英語を教わっています。
サティシュ・クマールさんの著書『エレガント・シンプリシティ』の各章からおすすめの箇所をピックアップして翻訳とリーディングを練習していくというものです。
こちらは英語版。5年前イギリスにあるサティシュ・クマールさんのシューマッハ・カレッジを訪れた際に購入し、サティシュさんにサインしていただいた本があったんですが、中身は手付かずだったため、先生のもと本を読み進めながら、同時に英語の勉強もしていってます。
ちなみに日本語版もあるので興味のある方はぜひ読んでみてください。
サティシュ・クマールさんの言葉は、シンプルでわかりやすく、またその語り口調は慈愛に満ちています。
"人生は巡礼の旅-Life is a Pilgrimage"
この章は、日本語版では省かれていますが、ちょうど今日そこを勉強したので、インド旅で感じたことと重ねるようにして紹介します。
※訳は敢えて、資料からではなく、翻訳サイトで訳したものをそのまま掲載しますね。
The idea of pilgrimage is that very little is planned, fixed, or predicted.When difficulties arise, they are welcome. When we face problems, we accept them. Problems are an opportunity to use creativity, imagination, and ingenuity. They test our resilience. They challenge us to trust the universe.If everything is planned and organized, if the hotels are prebooked, guides and taxis arranged, then we have no use for our imagination or ingenuity. These qualities are locked in a box. For example, if we have a suitcase full of nice clothes but no occasion to wear them, then what is the use of having those clothes? In the same way, if we have no opportunity to use our resilience and trust, then we are missing out on something important. Faced with difficulties, a pilgrim asks,"How shall I handle this problem? The universe has sent me a riddle, let me solve it calmly. Problems are welcome, stony ground is welcome." Pilgrims do not want a smooth tarmacked road, especially when walking. And pilgrimage is always better on foot. The usual idea of pilgrimage is a journey to a sacred shrine or holy place. I have made such pilgrimages myself.But I have come to realize that the true meaning of pilgrimage is to live free from any attachments, habits, prejudices.Free from physical and mental clutter. Making an outer journey is a reminder of an inner journey, and I discovered that I am always on a pilgrimage. Life is a journey. I want to travel through life as a pilgrim.
巡礼の考え方は、ほとんど計画も固定も予測もしないというものだ。
困難が生じたら、それを歓迎する。問題に直面したら、それを受け入れる。問題は、創造力、想像力、創意工夫を働かせる機会である。問題は私たちの回復力を試す。もしすべてが計画され、組織化され、ホテルが予約され、ガイドやタクシーが手配されているならば、私たちは想像力や創意工夫を使うことができない。これらの資質は箱の中に閉じ込められてしまう。
例えば、スーツケースいっぱいの素敵な服があっても、それを着る機会がなければ、その服を持っている意味がない。それと同じことだ、レジリエンスと信頼を使う機会がなければ、私たちは大切なものを失っていることになる。
困難に直面したとき、巡礼者は問う。宇宙がなぞなぞを送ってきた。問題は大歓迎、石ころも大歓迎」。巡礼者は、特に歩くときには、舗装された滑らかな道を望まない。そして巡礼は常に徒歩の方がいい。
通常、巡礼といえば、神聖な神社や聖地を目指す旅である。私もそのような巡礼をしたことがある。
しかし、巡礼の真の意味は、執着や習慣、偏見から解放され、肉体的、精神的な雑念から解放されて生きることだと私は悟った。外側の旅をすることは、内側の旅を思い出すことであり、私は常に巡礼の旅をしているのだとわかった。人生は旅なのだ。私は巡礼者として人生を旅したい。
The meaning of this legend is that the path of a pilgrim is not easy or straightforward. It involves struggle. We, in our modern world, are comfort seekers. We want everything to be made easy and convenient. We don't want to face difficulties or encounter problems. This makes us timid. We lack a sense of adventure, courage, confidence, and trust.We are reluctant to take risks. We lack faith in our ability to find our way over stony ground. We forget that before gold is made into jewellery it must go through fire.
この伝説の意味は、巡礼者の道は決して平坦ではない、ということだ。
簡単でも一筋縄でもいかない。苦労が伴う。現代社会に生きる私たちは、快適さを求める。何事も簡単で便利であることを求める。困難に直面したり、問題に遭遇したりしたくないのだ。そのため、私たちは臆病になる。冒険心、勇気、自信、信頼が欠けている。石ころだらけの地でも、自分の力で道を切り開くという信念がない。
金が宝飾品に加工される前に、火を通さなければならないことを忘れている。
For me elegant simplicity is rooted in the idea of pilgrimage. To be a pilgrim is to cultivate both outer simplicity and inner simplicity. Inner simplicity provides a profound base for outer simplicity.Now let us explore the connection between simplicity and spirituality.
私にとってエレガントなシンプルさは、巡礼の思想に根ざしている。
巡礼者であるということは、外側のシンプルさと内側のシンプルさの両方を培うことである。内なるシンプリシティは、外なるシンプリシティのための深い基盤を提供する。
今回の旅が与えてくれた、私の内面での最も大きな体験は、まさにここに書かれているようなものでした。
仕事や家庭の都合をつけ、まわりの家族や友人の助けを借り、何とか捻出した18日間。
限られた中でも私は、行く先々で起こる出来事、その波に乗ってサーフィンするような体験を通して、日本での日常の中で眠ってしまっていた "潜在能力" を発動させたかった。
困難が生じたら、それを歓迎する。問題に直面したら、それを受け入れる。問題は、創造力、想像力、創意工夫を働かせる機会である。
周到な計画や準備がなくても、目の前で起きるすべての物事や人への信頼があればいつでも何とでもなるし、それは決して行き当たりばったりなのではなく...
不安や心配を手放し、この手に何も持たず、今この瞬間に向き合えたら、それが本当の意味で自分自身と深くつながることであり、ヨガ的なあり方とも言える。
そこに愛があれば、必要ものが私たちに与えられるのだと思う。
外側の旅をすることは、内側の旅を思い出すことであり、私は常に巡礼の旅をしているのだとわかった。人生は旅なのだ。私は巡礼者として人生を旅したい。
今回それほど大きな冒険をすることもなかったけれど、サティシュさんの言葉のように、それこそ外側の旅よりも内側の旅を思い出せたことが大きな喜びだったし、生きている確かさを感じた日々だった。
現代社会に生きる私たちは、快適さを求める。何事も簡単で便利であることを求める。
旅から日常に戻ってからの時間が、私は大好き。
今までとは違う新たな目線で、今までと同じ景色を見る。
目に映るのは全く異なる世界。
いつもワクワクする心と共に生きたい...!
サティシュさんの教えと英語の学びをガイドしてくださっているのは、サティシュさん来日時にに制作された冊子の翻訳も担当されたことのある方で、ヴェーダーンタ哲学にも詳しく、丁寧な解説が聞けるのがとてもありがたい。
こうやって振り返って自分の頭を整理する良いきっかけをいただきました。
この写真は、海辺の街を散歩した時のもの。
ほとんど荷物を持たずに、素朴な景色の中、自分の足で歩く、歩く、歩く。
すると、今ここに存在している確かさだけが感じられてきて、私の根っこにある魂は、昔も今も何も変わらないのだと思った。
特別なことを何もしなくても、いつどこにいても、そことつながることができる。
でもそのことをすぐに忘れてしまうから...、思い出すことができて本当に良かった。
今回はこの辺で...
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました🙏
yogini_ai ◡̈
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