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執筆者の写真渡部 愛

言葉と声と私。



子どもの頃、人と話すことが極端に苦手でした。 頑張って何か話そうとしても声が喉の奥で詰まってしまって全く出てこないことはしょっちゅう。 友達やクラスメイトとのコミュニケーションが少なく、自分の考えを伝える機会がほとんどないから当然、居心地の良い時間や場所も少なかったです。 常に心も体も緊張感でいっぱいでした。


20歳を過ぎ、ヨガを始めてからようやく、意識的に体をリラックスさせる感覚がわかるようになり、心を休める時間をもてるようになりました。 でもそれはヨガをしている時間や独りで過ごしている時だけで、人との関わりの中では、一体どうやったらリラックスして自然にその場に居ることや、話すことができるのかわからなかった。

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それが段々できるようになってきたのは、私がのちに『言葉のヨガ』と名づける練習をするようになってからです。 自分がどう感じているのか?何を考えているのか?どうしたいのか?がはっきりとわからない。 何度も繰り返し、内観し、整理したことを、文章としてアウトプットしていくことによって、本当の自分自身とつながっていききました。


元々、とても繊細な面があったからこそ、自分の気持ちや考えを表現することが難しかったのかも知れません。 それを言葉にして自分にも人にも伝わる形にしていくと、段々と私のことを理解してくれる人がまわりに増えてきて、好きな人とつながることができるようになっていきました。 今や大好きな人ばかりに囲まれて暮らしています。


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そんな私にとっても、自分の内にある想いや思想を、文章で書き表すだけでは充分ではありませんでした。

文字にすることが出来ても、目の前の人に声で伝えようとすると、喉が詰まってしまってうまく言えない経験も沢山しました。 また、それを頑張って声にしてみた時に、後になってものすごく嫌な感覚が残ってしまったり、相手の人を傷つけてしまったりと、後悔することもしばしばでした。



そうやって試行錯誤を繰り返すうちに、あることに気づきました。

自分が何を感じ、考え、伝えたいと思っているか? それを外に出すことよりもまず大切なのは、自分自身が一番良き理解者になること。 自分のことを丁寧に見ていれば、出すか出さないかはそこまで重要なことじゃないんだなと。

そして、そのリラックス感や余裕は、相手の人にも伝わる。 だから、詳細まで言わなくても案外きちんと伝わったり、信頼してもらえたりするんだって。 そうやって私は段々と、言葉にしないことや、行動しない選択もできるようになっていきました。


気づいたらいつの間にか、あんなに苦手だった人との会話が、ほとんどどんな時も楽しめるようになっていました。 嫌いだった自分の声や話し方も好きになれたし、人との会話も心地よく感じられるようになりました。

それを支えてくれたものは何か?


ひとことで表すと、『 Nada Yoga / ナーダ・ヨガ(音のヨガ) 』です。

命の呼吸、呼吸から生まれる声、音への繊細な意識よって個と大きな宇宙のつながりに触れること。 インド古典音楽、祈りの歌KIRTAN、ヨガ、呼吸法、サンスクリットの学び…。 私は様々な、インドにまつわることとの関わりに助けられてきました。



今、それが自分の中では完全に統合されています。 私の内と外をつなぐもの。Nada Yoga。


それをシェアする場をはじめて、もつことにしました。 スタジオとZoomの両方同時に参加できるようにしたのでお時間のある方はぜひ体験してみてください。



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